前回の記事の続きです。

介護保険制度は、当初の目的の一つである介護の社会化をなし得たのだろうと私は思います。 介護保険サービスを受けることが一般的になり、医療と同じようなある程度のフリーアクセスができるインフラが整いました。 介護サービスを利用するためのノウハウや情報が巷に溢れ、誰もが利用して当たり前で、恥じるほどのものではない、という認識が広まりました。

つまり、介護福祉は、可哀想な特別な人が利用する特別なもの、から、国民誰もが利用できる当たり前の権利になりつつあるということです。 また、認知症という差別と偏見の対象であったものも広く一般に知られるようになり、国民の知識水準も一側面では一定のレベルになってきているでしょう。

これは良い面でしょう。

ところが、冒頭の「利用者さんを想う力」に焦点を当てると、介護の社会化、インフラの整備は負の側面が出てきているかもしれない、というのがレジェンドと私の考えです。

福祉の原点は、歴史的に見ると“慈善活動”です。その原動力は、“愛”や“正義感”、“使命感”です。そして社会的なマイノリティー、弱者を差別と偏見から解放し、権利を勝ち取ってきた闘争の歴史です。

私はとあるシンポジウムで介護とは何かを問われた時 「要介護状態という差別との闘い」と答えました。介護もまた、差別と偏見にある人々の解放がその真実の一つだと私は考えていました。

ところが、要介護状態の方々は従前の酷い差別と偏見を受ける対象ではなく、むしろマジョリティとしての母数になってきたのです。

逆に、介護職はどうでしょうか。ややもすると、要介護者よりも、介護職の方が生活苦を抱えているケースが増えているのではないでしょうか。 介護業界が慢性的なマンパワー不足なこともあり、多様な人材を受け入れようとしている大きなうねりがあります。極端な例では、犯罪者の更生手段、更生先として介護が考えられていたりします。

更に、世代で見ていくと、要介護高齢者の子供世代、つまり介護家族世代は、介護職に近い生活状況、不安を抱えていることが少なくなく、介護職や社会の共感は利用者さん本人よりも、家族に寄りがちな傾向があるような気もします。 ここにもまた、利用者さんのために、という正論が通じない社会構造変化があるように思われます。

つまり、これまで社会的差別と偏見を受けている要介護者を“愛・正義感・使命感”という原動力で解放し、権利を共に勝ち取る闘いをしてきた「利用者さんを想う力」を持っていた介護職が、要介護状態だけれども介護職よりも裕福で生活水準などが高い人を、様々な生活苦を抱える介護職が仕事として割り切って関わるという構図に変化しつつあるのかもしれないということです。

ですから、人が少なからず兼ね備えている、弱きものを助けようとする愛や正義感や使命感で目の前の社会的弱者を支えよう!という「利用者さんのために」という精神論的教育では、「利用者さんを思う力」を養うことは難しい時代なのかもしれない。

自己愛や成熟した生育環境、安定した生活状態でないかもしれない介護職にとっては、利用者さん以上に自分に関心が強くて当然なわけだからです。

少々、極端な箇所を取り上げての持論なので、ツッコミは多いと思いますが、要は、時代は変わってきたということです。

そんな中でも、希望が持てるのは、やはり養成校を卒業している人たちの職業倫理観です。 多様な人材に内外ともに出会う中で、やはり一定の介護福祉教育を経ている人材は、私たちの職種の社会的存在意義や役割を大なり小なり体得してきているように感じます。 知識技術はややもすると巷の民間研修でも素晴らしいものが増えている世の中です。しかし、職業倫理や介護福祉職としての使命について自費で研修をやっているところは少ないです。

専門職を養成する根源的なマインド、職業倫理、「利用者さんのために」を時代が変わっても変わらずに伝え続けるのは介護福祉士養成校の使命であり、存在意義なのだと最近思ってやみません。

私たち福祉職の本質を表した、あまりにも有名な糸賀一雄氏の言葉。 「この子らを世の光に」 障害者や高齢者、認知症の人たちなど、社会的弱者、差別と偏見に生きる彼ら本人たちこそ世の中を照らす光なのだ!ということです。

しかし、最近の介護業界は

「この人らに世の光を当てている私たち介護職に世の光を」

的な風潮があるような危機感を覚えます。 「利用者さんのために」一言でわかりあえる時代ではないことは痛いほどわかっています。もちろん、介護職という一人の労働者、生活者の生活も大切な尊厳です。 しかし、私たちは忘れてはならないのです。介護福祉職としての価値を。

目の前に明らかに差別を受けているとわかる人のために闘うことは簡単です。 しかし、今目の前の人と、自分はそうした関係ではないかもしれない。それでもその人が受けているであろう、差別と偏見と闘い、本人のささやかな幸せな生活を一緒に歩めるようにすることが私たち介護福祉職の存在価値なのです。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2017年8月12日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。