これまで私は「排泄・食事・入浴」という“介助”が中心になって、それが専門性として追及されていることを危惧していました。それは“安心・安全・安楽”であれば良いという技術主義に陥る気がしたからです。

私は個別ケアや心理的ケアが今後の介護の専門性として打ち出されていくことだろうと思いこのブログを書き始めました。

しかし、1年近く今の現場にいると、介助の重要性にも気づき始めたのです。

介助が大事!というと非常に短絡的です。したがって次のように介護を考えるようになりました。

衣食住、排泄・食事・入浴など日常生活を過ごすための介護として“生活支援”があります。

特に食事や排泄は生命維持には欠かせないことですし、これらが当たり前にできる(自分で全て出来るという意味ではない)ことがその人らしく生きることの重要な一つの要素なんだと思います。

また、他者との多様な関係性の結びつきの中で人は“自分らしさ”を構築していくのだと思いました。

人は誰かにとっての何か『役割、立場、位置関係』を持って存在しています。(息子にとっては父親、部下にとっては上司、妻に対しては夫など)この関係性の修復や再構築である“関係支援”を通じて、自分の存在意義や価値を認識することで生きられるのだと思います。

介護の目的を「その人らしく生きる」「自分らしく生きる」という抽象的な言葉で表すと、上記の『生活支援』と『関係支援』によって対象者の『人格』や『存在』を具体的に支援できるのです。

つまり、一人ひとりに適した『生活支援』と『関係支援』をすることがその人らしい『人格と存在』を支援する個別ケアの根本であり、介護の専門性ではないかと思います。

個別ケアが巷で声高に叫ばれています。 しかし、個別ケアは個室であったり、職員が一人ひとりに時間を多く割ける(マンツーマン)という意味が先行している気がします。

しかし、ハード的要素ではなく、適切な『生活支援』と『関係支援』ができれば個別ケアができるのです。要はソフトが大事なんでしょう。これがいわゆる介護の“質”です。

ハードや環境はあくまでも質を補完するための二次的要素です。

ハード先行でなく、ソフトの先行を後押しするようなハードでなくてはなりません。

また、援助技術はすべて『生活支援』と『関係支援』を遂行するためのものなんでしょうね。

小難しいつぶやきでごめんなさい。。。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。過去にご自身のブログ「介護の専門性新提案」に掲載した内容を、一部編集のうえ掲載しています。