前回の記事「GHと小多機の違い 家庭的、生活、地域 同じ地域密着型サービスなれど1」の続きになります。

家庭的というのを、関係性が家族のような、とか、温かいぬくもりを感じる、などという抽象的な表現は不適切ケアを生み出す温床になるのでやめた方がいい。所詮、それは疑似的なものである。関係性という抽象的なことで家庭を表現するならば、タイムスケジュールをやめて、すべて利用者に選択してもらう事業所の方がよっぽど家庭的となるはずだ。ひるがえるに、自事業所の小規模多機能型居宅介護は、家庭的な環境のもと、自立した日常“生活”の支援が出来ているだろうか?と考えないわけにはいかない。とくにひっかかるのが家庭的な環境である。GHはまさしく生活の場である。

しかし、小多機の利用者には『帰れる自宅』が存在し、まさに家庭を持っているのだ。家庭である自宅を持つ人が、“通い”で“家庭的”な環境にいる必要があるのだろうか?

いや、そもそも“通い”の小多機は疑似的にも家庭的になるべきなのか???私は日頃“通って”来て下さる利用者さんに何を提供しようとしていたのだろうか。小規模多機能型“居宅”介護であるならば本人の自宅で本人が“生活”できるようにすることこそ第一義である。

それを疑似的な家庭的空間で縛る必要はない。いや、そもそも“通い”という事業所拠点のみに、家庭的な環境や自立した日常生活を当てはめようとしているから複雑になるのかもしれない。GHの利用者さんはそこにまさに生活している。

そこがその方にとっては現在は“家”である。だからこそ、そこは家庭であるべきだし、タイムスケジュールからの解放と自由な選択が生活を作っている。しかし、小多機は違う。家がある人が対象だ。僕らはもっと自宅生活をみなければいけない。

通い、訪問が決まっていない時こそ家にお邪魔すべきだ。そうしないと家の生活がわからない。とりあえず、自宅という家庭の中で生活をする、ことを応援する。これが第一義。しかし、では小多機の“通い”空間とは何か?拠点ではあるが、本人の生活する場ではない。通所介護は『日常の中の非日常』というのが私の定型句だが、通所介護と“通い”の空間は何が違うのか?機能の問題ではなく、空間である。違いはあるのか・・・だから地域なのか。そう。GHにとっての地域はGHの事業所がある地域とのつながりである。小多機は違う。

事業所がある地域もそうだが、利用者本人が在住する自宅周囲の地域がある。つまり、登録者数の数だけ地域(当事者の地域)がある。小多機の役割は、“この当事者の地域で”生活することにある。事業所はあくまでも、住み慣れた地域で、その有する能力に応じて自立した日常生活を応援するための拠点だ。利用者の生活の拠点ではない。なんだか一つ光明が見えた気がした。そんな実習。家庭的、生活、地域色々と小さなところから挑戦してみよう。

追記:

読者の方のコメントなどを頂戴し、家庭的、の中には「他者の存在の前提」があることに気づきました。家庭とは一人暮らしの方で形容することはあまりありません。つまり、複数人、二人以上の存在が必要です。

すなわち、家庭的であるためには、タイムスケジュールからの解放と自由な選択たけでは十分条件ではないということです。

では、誰かと一緒に同じ空間にいれば家庭的といえるか?

否です。

他者との関係性が必要であり、それは悪いものではなく、良好であることが想定されます。

「存在を認め合える他者の存在」と考えます。平たく言うと「承認される居場所」でしょうか。

もう少し深めていく必要がありそうです。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2016年11月4日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。

※ 金山峰之さんのプロフィール 介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員。法政大学大学院政策創造研究科修士課程修了。 在宅介護を中心に15年以上現場に従事。現在フリーの介護福祉士として、高齢、障害者介護現場の傍ら、介護人材の育成、講演、研究、コンサルティング等に従事。