なぜ介護福祉を続けるのか?その1

介護の仕事に従事する私に対して、有名な外資系企業に勤めた地元の友人から「おまえの仕事は本当にすごい。頭が下がる。でも、何の生産性もない年寄りや障害者におれらが汗水たらして稼いだ金をつぎ込むことは、理解はできるけど納得は出来ない。介護とか福祉が大事なのはわかっている。けど納得できない。もし自分が介護が必要になったら死んだ方がいい」と言われたことは今でも私の財産。

彼の言葉は特別冷たいものではなく、大なり小なり多くの方が口に出さずとも思っていることのはず。

だからこそ

「なぜ自分は介護福祉を続けるのか?」

これを時々振り返っては自問自答しないと私は前に進めない。

「人に感謝される」とか「人の役に立ちたい」とか「人が好きだから」という(動機はそれで全然構わないし、それは素敵なので否定はしない。ただ“続ける”理由となると難しい)綺麗で、清廉潔白、純粋無垢な答えではすぐ壁にぶち当たる。

それならば、「高齢社会という成長産業でビジネスチャンスをものにしたい!」と言った方が持久力があるように聞こえる。

「人が好きで、感謝されて、役に立てる」仕事は他にもいっぱいある。だからこれらの理由はきっかけとしてはオールオッケーだが、本気で続ける理由としては弱い。

「なぜあなたは介護福祉を続けるのか?」

以前ネットのYahoo知恵袋だったか、どこかで「弱肉強食という自然の摂理に反して、なぜ弱者を税金で生かすのか?」というような問いに対して「人間が進化の過程と環境変化の中で生き残るために社会を形成するという手段を習得し、選択したため」という『種の保存』という視点から切り返しているサイトを見たことがある。

一見正当なようで強い違和感を覚えた。それは冒頭の地元の友人の言葉があったから。

ミクロでは正しいことが、集まっていくとマクロでは実は間違うということがある。

例えば、個人が節約をすることは一見悪い事ではない。しかし、国民皆が節約をした先には経済の停滞と不況が待っている。ミクロとマクロの正しさは比例ばかりではない。

つまり、「種の保存」という一見マクロでは正しそうに聞こえることでも、冒頭の地元の友人のような答えを持つ人は大勢いるし、出生前診断をする人だっている。

だから、私は「種の保存」のために介護福祉をやっているわけではない。

「なぜ私は介護福祉を続けるのか?」

多くの尊敬する実践者の方々にお会いしてきた。本当の実践者。

彼らは大きく4つに大別できる。

その2に続きます。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2016年10月21日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。