2021年5月22日に行われた「理想のケアとその実践を語る」あおいけあ×駒場苑コラボ質問会の内容をダイジェスト版で紹介します!

【登壇者】 加藤忠明(あおいけあ代表) 坂野悠己(特別養護老人ホーム駒場苑施設長)

録画をYouTubeとFacebookで公開中です!

★YouTube

★Facebook

*前回記事はこちらから!


3. 理想のケアとは (録画:26:53-46:51)

編集部 お二人のやってる事業って、種類は違いますが、目指されてるものは近いんじゃないかと感じています。ですので、今回のテーマである「『理想のケア』とは何か」について、まず坂野さんに伺えたらと思います。

坂野(駒場苑) 難しいですね、『理想のケア』。私はすごい劣悪な特養を一発目で経験して、「おじいちゃんおばあちゃんが死ぬ場所がこんな場所じゃあんまりだろ」っていう怒りみたいなところからこの仕事をやろうと思ったので、「こういう理想郷を作りたい」っていうよりかは、「少なくともこんな嫌な思いをしながら亡くなるようなことはさせたくないな」っていう感じなんですよね。

だから「理想」っていうとすごいプラスなすごいイメージなんですけど、私はもうちょっとハードルが低くて、「最低でもマイナスをゼロにしようよ」っていうところをベースに考えています。だから、駒場苑自体もそうですが、介護業界全体として、劣悪な介護事業所が無くなって、最低限利用者が嫌な思いをしない場所でありたいなって。その上に各事業所でいろいろ特色があってもいいのかなと思うのですが、その辺のベースアップみたいなことをずっと考えてやってきています。

そういった考えから、「7つのゼロ」を掲げています。特養でよくある、寝たきりでオムツばっかりとか、機械のお風呂にベルトコンベアみたいに入れてくとか、ミトンをしちゃうとか、ちょっと縛っちゃうとか。そういう、生活する上ですごく不快な要素を介護施設で考えた時に出てきたのがこの7つでした。この7つをできるだけ少なくすれば、そういう不快な思いは少しでも減るんじゃないかなと思っているので、「理想」と言われたら私の中ではそれなのかなっていうところですね。

ただ、そうすると夢も希望もない感じがしちゃうので、駒場苑だけで言うと、『7つのゼロ』は手段やツールであって、他に目的もあります。それが駒場苑グループの理念で、「最期まで気持ち良く主体的でその人らしい生活を支える」っていうことですね。それぞれ在宅の事業所とか施設の事業所とか関係なく、この目標に向かって何ができるかっていうのを考えています。その中で特養では「7つのゼロ」っていう具体的な目標を掲げてやってるっていうことですね。あえて言うならこの理念がある程度達成できていることが、私の中での『理想のケア』なのかな、とは思ったりします。

編集部 ありがとうございます。加藤さんにもぜひ教えていただけたらなと思います。

加藤(あおいけあ) やっぱり難しいですね。『理想のケア』って質問について、まずそのケアの捉え方がみんな一緒になってるかな、というのがあると思っていて。僕がよく喋る話なんですが、経済学者の井出英策さんとかと喋っていたときに「加藤くん『ケア』って英語だけど日本語訳知ってます?」って聞かれたんですよね。みなさん知ってます? 

たぶんケア職の方多くて、ケアされてると思うんですが、これがよく勘違いされてて。「面倒をみる」とか「お世話をする」ってことじゃないんですよね。ケアって実は「気にかける」っていう意味で、語源は「耕す」ってラテン語なんですよ。つまり、僕らが何かを相手に提供することはケアではなくて、「相手の畑を耕して相手の生活がうまくいくように気にかける」ことをケアって言うんですね。

その前提で話していくと、『理想のケア』は僕は実は無くて。そんなもん100人いたら100通りだろうと思ってるし、1番の理想はたぶん「ケアしないこと」だと思ってます。ぶっちゃけ怒る方いるかもしれないんですけど、僕は一般的な「ケア」をされたくないんですよ。お世話されたくないんです。もしそれが必要になったとしても、一方的にただ世話になるだけの存在でいたくはないんですよね。ケアする側の理論を僕に持ち込んでほしくないと思ってるんです。

だから、介護保険を使ってるじいちゃんばあちゃんだとしても、「ケアされる」って思ってほしくないんですよね。例えばうちに来てる以上は、できれば「自分は社会に対してこういうことをしてるんだ」とか、「子育てに俺は役に立ってるんだ」とか、そういうことを毎日気にかけてもらうことが大事だと思っています。ケアって「看る・看られる」の関係を作るんじゃなくて、なんとなくお互いが支え合ってるような、地域のプラットフォームを作ればいいだけだと僕は思ってるんです。だからこうでなければならないとか、そういうことは「あおいけあ」ではあんまりなくて。「〜ねばならない」とか、「こうすべきだ」みたいな発想を、僕はできるだけ持ちたくないと思って仕事をしています。

なので、「気にかける」という意味のケアでは、僕らが何かしてあげるのではなくて、ちゃんと相手がどういう人間で、どういう最期を自分で迎えたいんだっていうことも含めて、それをちゃんと紐解いていけることがケアじゃないかなって思っています。

編集部 ありがとうございます。最初加藤さんは特養から始まっているわけですけど、今みたいな考えにはどういう過程で至ったのでしょうか。

加藤(あおいけあ) どうなんですかね、ちょっとずれたらごめんなさいね。例えば僕は、六会日大前って駅の近くに住んでるんですけど、すぐ近くに養護学校があるんですよ。小学校の頃って、てんかん帽を被った子たちが集団でこうバーっと歩いてる姿を見たときに、すごい怖かったんですよね。普段関わってないのもあって、あそこに入ったらなんかされるんじゃないかって。でも大学の時に、実は障害児童の施設でアルバイトしてて。てんかんの子もいればいろんな子達がいるんだけれども、障害とかそういう枠がどうでもよくなっちゃったんですよ。「別にただの同じ人間じゃん」みたいに思ったんです。

だから、特養に行った時に、「100人のオムツ交換を何分で終わらせられるスタッフは偉い」みたいな風潮だったりとか、「いやそういうもんだから」みたいな感じで喋られるのがすっごく気持ち悪くて。

よく喋る話ですが、皆さん自分の事業所のデイサービスを想像してもらえばいいと思うんですけど、その事業所の椅子に、今提供時間7時間が普通ですけど、座ってられます?っていうことですよね。自分が喜んで7時間座ってられるんだったら、良い事業所だと僕は思うんです。でも、みなさんが御免蒙ると思ってるんだったらおかしくないですか?と思ってるんです。自分が我慢できない場所を、「足が痛い」、「腰が痛い」、認知症でいろんなことがわからなくて「不安だ」って言うお年寄りに「座ってろ」と言って。3時間経って「いやもう帰りたいんだ」って言うと「帰宅願望」って言われて。5時間経ってお尻痛くて歩き始めると「徘徊だ」って言われて。問題老人扱いされるじゃないですか。自分ができない環境を相手に押し付けて、相手が我慢できないと相手に問題があるんだっていう発想とかすごくわかんないなと思っていて。

送迎車が当たり前に走ってますが、皆さんあれに乗せられる自分の姿想像したことあります?僕だったら御免蒙りたいんですよね。でも「あんたたちかわいそうだから、これ乗るの当たり前でしょみたいな」空気があって、誰もそれにあんまり疑問を呈さないじゃないですか。僕は福祉とか介護とか、そのやってあげてる空気感っていうか、その感覚がすごく気持ち悪いんですね。

なので自分の事業所では、例えばグループホームを作った時は、実はログハウスメーカーで作りました。25歳の時の若気の至りですけど、自分の理想の老後が、ログハウスで晴耕雨読くらいのことしか出てこなかったので、本当にログハウスメーカー行って、木をたくさん使ったお家を作りたいと思って。場所を作る時も、介護の場所を作るというよりは、自分が居心地がいい場所をどう作るのか、というのを考えています。

これがなぜかというと、僕は相手の気持ちがわからないからです。皆さんの気持ちがわからないからです。よく福祉職で「あなたの気持ちわかるわ」っていうけど、僕ぶっちゃけ「嘘つけ」と思ってるんですね。女の人に振られてすごい辛い時の気持ちって、絶対わかんないだろって思いません?あれを「わかるわ」とか言われちゃうのがよくわかんないんですよ。なので、僕は僕が居て気持ちがいい場所を作るしかないと思っていて。その場所気持ちいいなと思ってくれる人がいるかもしれないし、そういう人が多分いてくれてるんだと思うんですけど。なので、あくまでも三人称の「これはあなたたちが使うんでしょう」じゃなくて、一人称で、「自分だったらこういう生活がしたい」「自分だったらこういう場所にいたい」っていう場所を単に作ってるっていうだけだと思ってます。

編集部 なるほど、ありがとうございます。坂野さんの、現在の考えに至った過程についても、もう少し教えていただけたらと思います。

坂野(駒場苑) そうですね。私はどちらかっていうと「起業をする」っていう選択肢はあんまり浮かばなくて。どちらかというと、やばいところに行って、そのやばいところを変えられないのかなっていうのをやってきた感じなんですよね。だから最初の特養が劣悪で、そこはあまりに良くなかったので、先輩と色々喧嘩をしてばかにされて、「お前は介護わかってない」とか、「寝たきりでオムツ変えるのが介護なんだ」とか散々怒られて。

でも納得いかないから施設長室に行って、施設長に「こんな状況なんですよ。こんな状況で亡くなっていくのはちょっとあんまりだって思います」みたいな感じで言うと、「そうだよね、坂野くんの言う通りだよね」って言ってくれて。そこの施設はお風呂もお部屋で裸にしちゃって、裸のままストレッチャーに乗せていくんですよ。それももう納得いかなくて、施設長にバンバン言ったら、「わかったわかった。そうだよね。これから変えてくから一緒に頑張ろうね」って言ってくれて、「施設長がわかってくれたから大丈夫だ」って思ってまた働いていたんです。

でも一週間が経って、改善に向けて動いてる感じがしなかったので、また施設長室に行って。「あの話どうなりました?なんか改善できそうですか?」って聞いたら「ああ、そうだよね。そうだよね」みたいな感じ、施設長が私の話を傾聴してるだけっていう状態がこう続いたんです。その頃私は介護の専門学校とか行ってないんで、傾聴という技術を知らなくて、なんとなく自分の思いを共感してもらえたからやってもらえるんだと勘違いしててたんですね。

結果的に、1ヶ月が経つ頃に呼ばれて、「契約更新しません」って言われて。学生のバイトだったんでそんな感じでクビになっちゃって、で次の特養も、その次の特養も、また連続でクビになるんですね。毎回楯突いては…みたいなことが続いて、このままだともう介護の仕事続けられないなって思ったんです。

その頃はまだ若くて、自分のコミュニケーション能力がすごく低かったので、物事をはっきり言うっていう選択しかなかったんですね。それで、一回有料老人ホームみたいなところに行って、社会人の先輩たちの立ち振る舞い方とかを観察したんです。こういう言い方だと嫌われるんだなとか、やっぱりはっきりバッと言っちゃう人は嫌われて、正論だけどみんなついてこないなとか、うまく会議の前にいろいろ話合わせとけば合意取れるんだなとか、偉くなるのはやっぱり上司の気に入られてる人なんだなとか。そういう社会人の立ち回り、コミュニケーションのバリエーションみたいなのをやりながら身に付けました。

私の中では3回連続特養でクビになってるんで、「特養に挑む」みたいな意識があったんですね。その結果、駒場苑の前の横浜の特養で、施設の改革みたいなことがうまくできて、「その人たちが主体になった生活をみんなでやろう」ってできたんです。そうしたら、Bricolage(ブリコラージュ)関係の三好春樹さんからお声がけしてもらって、講演会とかいろいろやらせていただきました。

そんな感じでやってたら、セミナー後の懇親会に駒場苑の職員さんが来てて、「うちは本当にどうしようもないようなケアをしてて、坂野さんが横浜でやったような感じの関わりをしたいのにできない」みたいな感じで悩んでたので、横浜の施設はなんとなく落ち着いてたから、「じゃあ僕行きますよ」って感じで転職を決意しました。だから私は、自分で場所を作るっていうよりかは、そういうダメなところでも、なんか工夫してやっていけばちょっとでも良くなるんじゃないかっていう方向でやっています。そういうやり方のノウハウを身につけて発信していくことで、全国のあんまりいい施設で働けない人たちにもそれを活用してもらって、そこの施設がちょっとでも良くなればいいなってって思っていて、今ある場所を少しでも良くする方法とか、マネジメントの方法とかを試行錯誤して、いいものを発信していく、みたいなことをやってきた感じです。


★駒場苑の見学会・説明会参加者を募集しています! 詳しくはこちら