2021年6月12日18時より、「三大介護こそ尊厳を守るケア」ということで、三好春樹さんのセミナーを開催いたしました。

今回はその様子を、全5回にわたってお届けします!

実際の雰囲気を感じてみたい方、より詳細な話を知りたい方は、ぜひこちらの動画をご覧ください!

5月6日には、「三好春樹と排泄ケアを考えるアウケアツアー」ということで、排泄ケアについてのお話をいただきましたが、今回は、排泄ケアに加えて、入浴ケア・食事ケアを含めた三大介護について、お話をいただきます。

〈#2の目次〉 ■介護現場は利用者の「生活の場」 ■介護は「治療」ではない ■介護の根拠となるのは「生理学」

動画13:11

■介護現場は利用者の「生活の場」

じゃあそれぞれどうすればいいのか。こういう二者択一ー松本さんが「10ゼロ介護」と言った状況の中でも、当時の特別養護老人ホームには、一つの方向性みたいなものがありました。それは何かというと、「生活の場」という言葉が定義されたということです。これは希望でしたね。つまり治療の場じゃないんだ、あるいは収容の場ではないんだ、ということです。お年寄りは生活の主体・主人公なんだ、という響きがあって、我々介護現場が目指すべき方向性を照らしてくれたような、そういう言葉でした。言葉の力はすごいですね。

でも、「生活の場」っていう言葉に内容・内実があったか、というとそんなことはなくて、「生活の場にふさわしい食事ケアとはどんなものなのか?」「排泄ケアは何だろうか?」「 入浴ケアはどうでなければいけないのか?」ということは全然なかったんです。

私はそれを、いわば介護現場に偶然入って、本を読むのも好きだし、文章を書くのも嫌いじゃないから、この方向性をちゃんと言葉にして、方法論として作っていこう、というふうに思って、それをライフワークにしていきました。

■介護は「治療」ではない

ラッキーなことに、4年半介護職をやって、28歳でPTの養成校に入ることができました。よくお話しますが、高校を出てないものですから、当時の文部省の大検を受けてね、専門学校に入るわけです。学校で習うのは医療ですから、治療の方法論なんですね。脳卒中で倒れる、手足に麻痺が出る、この麻痺をどう治すか?ということを教わるんだけど、介護っていうのは、「これ以上もう良くなりません」と言われてからが介護ですから、「治す」じゃないわけです。

だけど、治すのと同じ知識や技術を使って、麻痺した手足でどう生活していくのか、ということを応用問題として考えていけばいいんだな、というふうに思いながら勉強しました。いわば、「麻痺した手足を持ちながらどう生きていくのか」ということのために、医療知識や技術を使いこなそう、ということです。それは、「朝起きた時、片手片足だけでどうやって起き上がればいいんだろう」っていう極めて技術的な事から、「障害を持って生きていくってどういうことだろう」ってちょっと哲学的な問いに至るまで、一緒にその方法論を手作りしていくっていう深い仕事ですね。

■介護の根拠となるのは「生理学」

食事・排泄・入浴を、十ゼロではなくてどうしていけばいいのか、ということも、いわば医療教育の中で色々考えてきました。でもその根拠となったものは何かというと、医療そのものではなくて、そのまた根拠になっている、生理学なんですね。医療の根拠というのは病理学、病気についての知識や技術です。だけど、病気ではなくて私たちが普段やっていることの根拠というのは生理学の方ですね。

生理とは、「当たり前・自然な」という意味です。これは病理学の基本にあるもので、いわば生理学の根拠からどれだけ離れているか、というのが病理学です。これは特別な病気の時に通用するわけですけども、介護に必要なのはそれではなくて、生理学のほうだよ、ということで、非常に興味を持ちました。

「図解生理学」という分厚い本があります。これが特に食事ケア・排泄ケアについて、この生理学を根拠とすることで、二者択一の安静看護という方法論から脱却する方法を作れてきた、というふうに私たちは考えています。

例えば食事ケアについて、食事介助の姿勢はどんな姿勢がいいか、なんていうと、当時は専門的なお医者さんがね、ファーラー位・あるいはセミファーラー位で食事介助したら良いって言うんですけど、とても食べられたもんじゃないですよ。これは嚥下反射というのが完全に消失してしまった、極めて特殊な病気の人に介護するときの方法なんです。そういう人は介護現場にそんなにはいないはずなんですけど、特殊なケースを一般の介護に当てはめる、ということをやっていたのが、当時の介護の指導者たちなわけです。

次回は『10ゼロ介護』から脱却するために」です。ぜひ合わせてお読みください!