前回記事「ソーシャルワークって何?①」で書かせていただきましたが、ソーシャルワークは人が幸せに暮らすことを促進するプラス面を整え、幸せに暮らすことを阻害するマイナス面を取り除くアプローチを、個人、地域社会、国レベルごとに行う支援や活動等を表していました。

とは言うものの、まだいまいちピンとこない方も多いと思います。そこでソーシャルワークの歩みをこんな例え話で説明してみたいと思います。

時はイギリスの産業革命時代。資本家はどんどん富を蓄え、労働者はいくら働いても一向に生活が上向かない。そんな貧富の格差が広がった時代のお話です。

ある時、教会に「子供の薬を買うお金がないので助けてください」と言うお母さんが相談に来ました。聞けば、子供は怪我で足を切断しなくてはならず、その後の治療にも薬が必要なのに、夫は失業しており酒浸りでお金がないとのことでした。かわいそうなお母さんですね。夫は父親としても一家の大黒柱としてもダメですね。

ところが、お母さんの話を聞いていくと印象が変わっていきます。

子供は炭鉱で働いていた所、錆びた釘が足に刺さってそれが化膿してしまい、十分な医療を受けられずに足を切断するに至ったそうです。そもそも、なぜ子供が炭鉱で働いていたのでしょうか。実は夫が失業したため、家賃が払えなくなったそうです。失業したのは、働いていた炭鉱で起きた落盤事故に巻き込まれたからだそうです。夫は毎日10時間以上働いていたにも関わらず、怪我をしたら解雇されたそうです。夫が怪我で働けなくなったために、子供が代わりに働いていたと言うのです。

今の日本では考えられませんね。日本では、労働基準法があるし、労災保険も失業保険もあります。児童福祉法がありますし、世界では児童労働を禁止することが定められています。その上で生活保護や医療保険制度、職業訓練、ハローワークだってあります。

そう、つまり当時は、社会には不平等が存在し、一部の人が豊かになる仕組みがあり、人々が幸せに暮らすことを阻害するマイナスなことがたくさんあったのですね。そうした幸せに暮らすことが出来ない人達がたくさん増える中で、教会にたくさんの人が相談に来たのです。

そうした教会や慈善団体では、相談に来た人個々人を支援したり、困っている人同士を集めたり、支援者を募って支え合いの仕組みを作ったり、国などに人々の権利を守る仕組みづくりを訴えるなどしたのですね。このような支援活動や運動がソーシャルワークの芽生えだったのです。

さて、こうしたことは今の日本ではもう関係ないでしょうか。そうではありませんね。

社会を見ると、日本でも差別や偏見に苦しむ人がいますし、搾取されている人もいます。明らかに苦しんでいる人ばかりではありません。例えば働くママさんたちは今の日本社会で健やかに幸せに暮らせているでしょうか。もしかすると、未だに「女性は家事」「子育ては母親」「女性は出世できない」と言う無意識の社会的偏見の中にあったりしないでしょうか。

そうした人々の幸せにとことん向き合っていくのがソーシャルワークなんですね。

介護でいえば、認知症の人や、障害がある人、介護家族、介護離職、介護虐待など様々な社会的課題や幸せに暮らすことに困っている人がいると思います。そうした人たちの支援を介護という仕事を通じて行うことも、一つのソーシャルワークと言えるでしょう。

今回はここまでです。次回は、介護現場で行うソーシャルワークについて見ていきましょう。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。

※ 金山峰之さんのプロフィール 介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員。法政大学大学院政策創造研究科修士課程修了。 在宅介護を中心に15年以上現場に従事。現在フリーの介護福祉士として、高齢、障害者介護現場の傍ら、介護人材の育成、講演、研究、コンサルティング等に従事。