認知症の人との関わりは、一人の尊厳ある人格として接するという大原則と同時に、認知症という状態の特性に応じたものでなくてはならない。

というのは耳タコなことですが、なかなかどうして。両立が難しいものです。

認知症介護は、ボケ、痴呆症と呼ばれていた時代の長い闇歴史があるためか、前者の「一人の尊厳ある人格として接する」という方に現場介護職は強い引力を感じずにはいられないようです。確かに歴史の反省として私も認知症の人の個別性や人格への着目が強いクセがあります。

しかし、やはり専門職として、後者の『認知症という状態の特性に応じた介護』も展開できなくてはならないでしょう。

例えば言葉遣い。

介護現場の言葉遣いの乱れについて各所で言われて久しいですが、認知症の人への言葉遣いは特に良き介護職にしてみれば敏感になる点です。

「認知症のAさんは一人の尊敬すべき利用者さんなんだからきちんと敬語を使わなくてはいけません」と。

これは一見正論なのですが、冒頭の後者の視点から考えなくてはならないこともあるはずです。

すなわち、敬語を使わなくても良い認知症の状態の特性上の場面があるはずなのです。

その方の言語理解の程度、言語障害の程度に応じた言葉遣いが専門職には求められるはずです。

「Aさん、あちらで一緒にご飯を食べませんか?」

という丁寧な言葉ではかえって混乱をきたす状態像である方に対しては

「Aさん、ご飯、食べる。一緒。あっち」という端的な文節でジェスチャーを加えながら伝えた方が良い場合もあります。

一見後者の言葉遣いは第三者からするとぶっきらぼうで、温かみを感じませんが、認知症の方にとっては、わかる環境の提供の方がずっと温かいものです。問われた時に根拠を説明できれば原理原則にとらわれる必要はありません。

これは認知症関連のテキストなどにも載っている、中重度別の認知症の方とのコミュニケーション手法によく書いてあるものですね。

他にも、最近私が感じた事例です。

Bさんは、アルツハイマー型認知症、要介護5で認知症高齢者の日常生活自立度はⅢbの方です。日常的なコミュニケーションはある程度言語で可能ですが、日に何度か訪れる混乱した状態の時は「助けてー」「助けてー」と強く訴えます。

この時私たちは誠心誠意コミュニケーションを図ろうとしていました。

「助けて欲しいのですね。お辛いですね。何か不安なんですね」と受容と共感の意を示してみました。

「どうしましたか?」「何を助けて欲しいのですか?」と開かれた質問(5w1hで応えるような質問)で、ご本人の声を引き出そうとしてみました。

しかし結果は「助けてー!いやーー!」とかえって混乱は強くなるばかり。

ご本人の思いに寄り添おうとコミュニケーションを図っているのになかなかご本人との意思疎通が図れませんでした。

その2に続きます。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2016年10月21日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。

※ 金山峰之さんのプロフィール 介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員。法政大学大学院政策創造研究科修士課程修了。 在宅介護を中心に15年以上現場に従事。現在フリーの介護福祉士として、高齢、障害者介護現場の傍ら、介護人材の育成、講演、研究、コンサルティング等に従事