前回の続きです。

「統制された情緒的関与」とは、以下のような原則でした。

  1. 相手の感情に対する感受性を持ち、その感情を理解し、援助という目的を意識しながら、その感情に適切なかたちで反応すること。

  2. 感受性とは、相手の感情を観察し、傾聴していく技術であり、そのためには自分自身の自己覚知が必要である。

  3. 相手の感情を理解するためには、人間に共通することの知識が不可欠で、更にその感情を相手が抱える問題との関連性の中で理解する必要がある。

  4. 相手の感情を感受して理解し、そして適切に反応するという技術が大事で、この反応が最も難しい技術である。

  5. 適切に反応するためには、どう答えようか、という外的表現方法ではなく、その感情を受けたことで自分自身の内的反応に気づくことが大事である。

  6. その内的反応が相手への援助目標や面接の目標として適しているかを吟味する必要がある。

  7. 吟味し、相手を受け止めようとしている態度や、相手の困難を理解しようとしていること、心理的サポートだと感じられるよう伝える(反応する)。


これを踏まえて、前回のMさん(80代女性、要介護2、独居)のお話の続きです。


Mさんのこれまでの人生について色々と伺うと…

わがままなお姑さんとの関係に苦労し、最期まで嫁の勤めを果たしたこと、親が早くに他界し、長女であるMさんが親代わりに下の兄弟の面倒を見て苦労したこと、戦時中の話が続きました。 「苦労した」「人生色々」「今は子供たちがよくしてくれる」「幸せな方だと思わなきゃ」「元気出さなきゃ」 繰り返されるキーワード。そして心からの笑顔ではない苦笑い。遠い目線と沈黙。

2の観察と傾聴によって得られたことはこのような内容です。 その間、服薬を勧めたり、水分補給や、昼食を用意したりしています。

また、3のところでいうと、苦労してきた人生と抗えない時代や家族環境の流れの中で、自己を抑えるような抑制の防衛機制が働いていたのではないかと考えました。 自分がわがままを言わず、世間一般的に評価される姉、母、嫁、姑を生きてきたMさんは、そういう自分の抑制された自己の承認欲求を満たそうと、葛藤の中で取引をしてきたのだろうと考えました。 また、私自身は相手の信頼を勝ち得ることによる承認欲求が強く、信頼を鎖に相手を支配したいという深層心理があると自己分析していますので、質問や承認の言葉はあくまでもMさんが自分自身に向き合うようなものを選んで伝えました。

そして、Mさんの想いを聞きながら、5のMさんの感情は「諦めによる無力感」と「自己抑制」 でした。 一言で言うと「仕方ない。私が我慢すればいいのよ。そうやって生きてきたんだから」ということでした。 Mさんのそうした感情を受け取ることによって私が一番感じた内的反応、心にさざ波が起きたのは「私は何して生きてきたんだろう」という自分の存在の意味と目的をいつも二の次にしてきた痛みでした。

そして、6の総合的な援助目標などに照らし合わせると、自己抑制してきた自分という人間が、老いて人に迷惑をかけてまで楽しさを享受してはいけないのだという想い、痛みがあり、それが骨折前の日常生活や健康管理、QOLの向上の障害になっていると吟味しました。 そのことを自ら開放して良いと思えるような、私が支配をしてしまわないで、自分自身で自分をコントロールして良いと思える“反応”が必要だと吟味しました。

そして7の通り伝えました。

沈黙・・・・という反応を最初しました。

M「元気出さなくちゃね」

私「もう元気出そうって思わなくてもいいんじゃないですか」

M「えっ!?」

私「散々人生苦労して頑張ってきて、そしてもうすぐお迎えが来る頃になって、まだ頑張るんですか?もういいんじゃないですか?」

M「そう・・・そうよね!!頑張らなくってもいいわよね!!そうよね!!」(満面の笑顔)

私「自分にこれまでよく頑張ったねって言ってあげていいと僕は思いますよ。本当に頑張りましたね!」

M「頑張ったわよ。本当に苦労たくさんしてきたから・・・」(目はふさぎがちだが口角は上がり気味)

私「僕はMさんとお寿司食べに行きたいですよ。お迎えはすぐ近くに来てるんですから、やり残さないで最期は自分の好きな時間を過ごしたらいいじゃないですか。通いで来てくださっている時にお迎えが来ら僕が見送りますよ」

M「本当に!?でも、私できれば家でひっそりと逝きたいわ。そして子供達か皆さんが来た時に見つけてもらうの」

私「最期までMさんらしいですね。では、死に顔が後悔の顔じゃないようにしなきゃですね」

M「私明日は行きます。ありがとうね。明日は必ず行くわ」

そして、翌日Mさんは久しぶりに来所してくださったのでした。

普段、利用者さんやご家族と面接を重ねる中で、色々とその場その場で考えて状況を判断して、私は言動を相手に伝えています。 しかし、いきあたりばったりではなくて、根拠あるコミュニケーションを通じて、適切な援助関係を築くことが専門職として大事だと思います。 この統制された情緒的関与でバイスティックが述べているポイント一つ一つに当てはめていくと、分析ができるし、今回のMさんとのやりとりは、一応体裁を整えて出来たほうかもしれません。

しかし、相談援助職と違って、私たちの面接は記録に残りにくいですし、それを振り返るスーパービジョンもなかなか行われません。 介護福祉士にとっても面接を通じた援助関係の形成は大事な仕事です。 こうして、時々振り返ることも大事なのかと思います。

また、介護福祉士はケアワークとして援助する事柄がある程度定められており、時間内にその最低限のミッションを行うということが課せられています。 例えば、服薬や水分補給、移動や食事、排泄、入浴、更衣などに関することです。もちろん、サービスありきではありませんが。 そうした事柄を行いながら、また行う前にこうした生活場面面接の中での原則を用いながら支援を前に進めていくことが、相談援助職のそれとは異なる特殊性なのかと思います。 介護行為を行いながら、適切な援助関係を築き、支援を行えるプロフェッショナルでありたいと思います。

最後にMさんから

M「あなたも苦労しているのね」

私「え?なぜそう思われるんですか?」

M「だって会話するのが上手だもん。よっぽど訓練しているのね」

一本取られました。。。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2014年7月19日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において掲載した内容を、一部編集のうえ掲載しています。