前回の記事までで、介護保険制度開始前後の訪問介護従事者(以下ヘルパー)の大量養成時代の流れを見ていきました。

今回の記事では、介護保険制度が始まって業界に起きた大事件を中心にあゆみを見ていきたいとおもます。

介護保険制度が始まったものの、当初国民の間では近所の世間体を考えて「身内で介護」という風潮が根強かったです。ヘルパーが訪問しても「玄関で名乗らないで黙って入って来てください。ご近所に聞こえるでしょ!」というお叱りが今よりも断然多い時代でした。

しかし、TVで連日のように介護のCMが流れたり、介護保険制度が始まった時のニュースや、介護の事業所がオープンしたというニュースを目にする機会も増えました。テープカットやくす玉が割れて万歳三唱しているという、今ではとても考えられないような、バラ色の報道が続き、少しずつ介護保険サービスの利用への抵抗感が下がっていきました。

多くの事業者が参入してきて、「介護」という言葉が一定の市民権を得た頃に大きな変化が起きました。それは介護報酬の改定です。介護保険制度は基本的に3年に一度改正がありますが、その中で介護サービスの料金や売上である介護報酬が下げられる改定になったのです。

特に2006年4月から本格的に始まった予防給付(要支援1、2の方へのサービス)により、訪問介護のメインである軽度者の単価が下がったことは介護経営者には大きな痛手でした。この辺りで、介護保険バブルはしぼんでいったと言えるでしょう。ある程度の量の事業者が参入したということで、国も制度の持続性や財政面を考慮して、介護報酬という名の蛇口を少し絞ったということになります。

そして介護業界に激震が走ったのが2007年の「コムスンショック」です。当時コムスンは介護業界大手として事業を全国展開しており、CMもバンバン流していました。ところがその企業の不正が発覚したのです。訪問介護で提供してもいないサービスを算定したり、人員配置基準における名義貸しなどがあったと言われています。これにより事実上、業界からの追放、撤退となりました。大変なのは残された利用者と従業員です。全国で利用者の受け入れ先を探したり、退職者も行き先に困り、事業譲渡も他の大手企業が引き受けるなど大混乱が起きました。

この事件が発覚した後、国も介護現場の実態調査に本格的に乗り出し、マスコミの現場取材も加熱しました。そして現場職の生の声が次々に報道されることになりました。中には劣悪な労働環境に関する情報もあり、そうした声がセンセーショナルに報道され、ここから介護3K時代が始まったと思われます。もちろん、しっかりとした待遇で、良質な介護をしていた事業者や従事者が全国にいたにも関わらず、そうした負のイメージだけが一人歩きしてしまいました。

そして、(当たり前ですが)法令遵守の経営が国から求められるようになり、コンプライアンスという意識が業界に浸透していくこととなりました。

こうした出来事から、訪問介護の現場から去るヘルパーも多くいましたが、その後の国の人材確保戦略や処遇改善などもあり、生かさず殺さずのギリギリの制度運営の中で、残ったヘルパーは新しい仲間たちとともに、利用者の在宅生活のインフラとして頑張り続けていきました。

今回の記事はここまでになります。次回は、ヘルパーの現在に至るあゆみを見てみたいと思います。