以前私が勤めていた民間介護企業の営業所が閉鎖になるという知らせを受けました。当時のことを色々と思い返します。

お客様のため、お客様への最高の満足と喜びと生きがいを支援すること…

私やヘルパーさんがお客様への介護を提供することで、それを得ていただけるのだと信じて日々現場に入っていました。

私は自分の現場の中でお客様の笑顔、信頼、感謝を得るたびに、自分の介護がお客様やご家族様の喜びや満足を生み出せていると感じていました。

しかし、今思うとお客様たちが得ていたものは違うものだったのではないか?と感じています。

私は性格的にすぐ顔に出るタイプではあります。それでも現場では若いお兄さん(おじさんじゃないですよ)、冗談ばっかり言うお兄さんです。職場でも一応の管理職です。

そして、家族の中では一応しっかりとした長男です。

自分としては普段はあまり気にせずに日々を過ごしています。それでも、感じる人は感じるものですね。そして、人は元来“気づく”力を持っています。

利用者のTさん。私の顔をじっとのぞきこみ、「kinsan… 何かあったんでしょ?元気ないよ」と核心に触れてくる言葉をおっしゃいます。そういう言葉を投げかけてそこで止まる方もたくさんいらっしゃいます。

しかし、Tさんは続けました。

「彼女?仕事?ご家族?」

“ご家族”という言葉に私が無意識の反応を示したことを見逃さなかったんでしょうね。Tさんの「何かあったなら話してごらん」という言葉にポツリポツリと私は自分の家族についてTさんにこぼしていきました。

それからTさんがデイに来る時は、笑顔で冗談をおっしゃいながらも、私の心と表情を気にされていることが感じられるようになりました。

正直なところ、最近のTさんが苦手でした。私の心の琴線に触れてくること、心配してくれていること。自分がため込んでいるたくさんのダムの水。それを決壊させまいと私は必死に水門を閉めています。しかしTさんは水門を開けてこようとするのです。

どうしてでしょうね?社会人としての防衛機制でしょうか?このダムの水を私はどうしても決壊させたくなかった。

先日、私が事務をしていると、Tさんは近くも遠くもない絶妙な距離を保って、「ご飯は食べてるの?睡眠はとれてるの?」と言葉を投げかけてきました。

私は「えぇ、まぁ、そうですね」という曖昧な言葉で対応していました。介護職という援助者としては、利用者さんの言葉を適当に聞き流している状態です。

Tさんは急に黙り、ジッと私を見つめていたようです。私はふと、「あれ?Tさんがしゃべってない」と思って、Tさんを見ました。

瞬間視線が合いました。

Tさんが何とも言えない、優しいまなざしで私を見つめて、微笑みました。

そして、おもむろに立ち上がり、私の傍までヨロヨロ歩いてきました。

そして「無理しなくていいんだよ」と私の背中をポンポンと叩いてくれました…

ものすごかったです… 背中から2回感じたTさんの手が私の水門を開ける鍵でした。

水門が一気に開放され、私がため込んでいた大量の水が一気にあふれ出てきました。止めようとすればする程、奥にため込んだ水が全部あふれてきました。

花粉症用のマスクをしていてよかったです。

静養室へ逃げ込み、ひたすらダムの水を流しました。一度開いた水門はもう水をせき止められませんでした… たくさんの水とそれが流れる地鳴りのような震えが辺りに響いていたでしょう。

ダムの底に沈んでいたヘドロのような嫌な思い、近い将来かもしれない想像したくない現実。過去に犯した過ち。喜び。後悔。

全てが流れ出る水とともにあふれては消えていきました。

不思議ですが、全ての水が流れ出た後は空っぽのダムでしたが、小さくても綺麗な虹がかかっていました。

悪夢というのでしょうか。最近はあまり眠れません。朝が一番最悪です。吐き気、眩暈、頭痛…

ストレスをストレスと感じず、気にしたってしょうがない!今できることを考えて行動する!というのが信条な私です。

しかし、さすがにこんなに自分の体が悲鳴をあげるとは思っていませんでした。だからダムの水が一杯になっていたんでしょう。

Tさんは知っていてか、無意識にか、その水を全て流して小さくも綺麗な虹を見せてくれました。

その後の全てを知っているような満足気なTさんの顔が小憎たらしかったです(笑)

その2に続きます。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2009年2月26日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。