前回の記事の続きです。

何故介護の心がこれほどまでに業界に浸透し、思考停止システムとして介護業界を蝕んでいるかを考えてみよう。

一言でいえば『楽だから』である。

つまり、介護の専門性とは何か?目の前の利用者、家族に真に良いケアを実践するにはどうしたらよいか?という絶え間ない探求をしなくて済むからだ。 しかも、自他共に、その聖職ぶりをアピールすることで、待遇向上を求める。もちろん、私たちにそんな気持ちは全くない。しかし、介護の心はそこまで介護業界の深化を止めていると私は考えるのだ。

介護の心は介護職だけでなく、世間一般に広がる先入観の総称だろう。

私たち介護職は、その世間一般にあるイメージを率先して担うことに自らのアイデンティティを求めていないだろうか? 3Kな仕事を介護の心を持って担う自分たちを尊い聖職者としていないだろうか? 世間がそう見てくれることに自己満足を感じていないだろうか? そして、そんな尊い仕事をしている自分たちを評価して待遇をあげて欲しいと懇願していないだろうか?

専門職である介護は、介護の心と3Kを笠蓑に、社会から待遇向上を助けてもらう仕事ではないはずだ。

自らの専門性を自らの研鑽によって深化し、待遇なり社会的承認を勝ち取っていくものであるはずだ。

利用者に役割や自立支援を求めるのであれば、介護職自身も自立し、専門職としての自己実現を図る必要がある。 そのとき、介護職は専門職として認められ、自らの仕事にやり甲斐と自信を持ち、外から憧れられる、魅力的な職になるのではないだろうか。

介護の仕事の魅力を伝える、ということをよく聞くが、魅力の大部分をまた介護の心にしていないだろうか? また、魅力の部分を経済的成功に求めて、かっこよさを魅力にしていないだろうか?

私がもし介護を知らない他業界の人間だったら、介護の聖職者的イメージを覆し、表面的には介護の心溢れる仕事の中に洗練された専門的なプロの仕事を見たときにこそ、介護の魅力を感じると思う。すごい!かっこいい!と思う。

何をすればよいか?

私は介護の心を解体していくことに介護の専門性の確立があると考えている。

『気づき、優しさ、想いやり、尊厳、自立、人間性、感受性、相手の立場に立つこと、ホスピタリティ、もてなし、笑顔、ふれあい、助け合い、寄り添いetc』とは一体何で、それをすることが対人援助にどのような効果が表れ、評価できるのか。それはどうやったら身につけられるのか?

それらを一つずつ解体して、考えていく、研究していく、積み上げていく、共有していく、そしてそれをまた実践していく。

私たちの拠り所であった、介護の心を解体して介護職一人ひとりが真剣に深化に携わることが今、求められているのではないだろうか。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2010年11月14日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。