前回の記事はこちらです。

以下余談。中途半端。キニシナイキニシナイ。

介護の仕事に従事して10数年になります。

この間、介護という仕事の範疇は大きく様変わりしていると感じています。

今日はその変遷について俯瞰しつつ、これからの介護の未来を想像してみたいと思います。

私が介護の仕事を始めた頃は、まだまだ措置時代の介護に従事していた先輩たちが多く現場にいらっしゃいました。

今とは比べものにならないような低い質の介護が提供されていたこともよく先輩方から教わりました。利用者さんの縛り方を知っている先輩も二人ほどお会いしたことがありました。

とはいえ、介護という仕事、利用者さんのために介護をする!という強いマインドを持った介護従事者が多くいらっしゃったことも肌感覚では事実です。

<三大介護>

そうした方々が最も心血を注いでいた介護は食事・入浴・排泄の『三大介護』と呼ばれるものを、いかに“普通”に近づけるか?ということでした。

普通というのは、要介護状態になったとしても、人間の解剖生理的に健常者の頃と同じような環境、状態の中でそれらを行うということでした。

これは、措置時代に長く続いた、劣等処遇や集団処遇へのアンチテーゼでした。

私は少なからず、この三大介護をまず当たり前に提供するということの意味、意義を知ることになりました。三大介護の背景には、水分・食事、姿勢、睡眠、運動、など人体の構図や仕組みを知るベースがあったと認識しています。

<尊厳への介護>

そして、介護保険制度が始まってから次に起きたトレンドは、認知症介護=尊厳への介護というものでした。

認知症はまだ痴呆症と呼ばれ、現在ほど、世間も我々専門職の認識理解が広がっているとはいえない時代でした。認知症の人への対応が上手い人=必要な介助を進められる人、認知症の人を上手く誘導できる人、というような印象があり、母性に基づく職人技的な要素が強い印象でした。

「認知症の人の方が私得意。認知症ない人の方が難しい」

ということを言う介護職は少なくありませんでした。裏返せば、これはいくらでもごまかしが効く、こちらの恣意で上手く進められる。と言う意味合いをはらんでいます。

こうしたことに対して、2004年に京都で開催された国際アルツハイマー協会で、日本人の当事者の方が認知症のことをカミングアウトしたり、ボケ老人を抱える家族の会が認知症の人と家族の会へ変わったり、痴呆症が認知症に改められたり、バリデーションのナオミ・フェイルさんが来日したり、世界的に有名な当事者のクリスティーン・ブライデンさんが来日されたこと、オレンジプランが始まったことで、認知症の人を普通の人権を有した人格者として尊重すると言うことがトレンドになり始めました。

ノーマライゼーション、バリアフリー、ユニバーサルデザイン、パーソンセンタードケアなどの言葉が広がり始めました。

措置時代への反省の、柱の一つ。利用者の尊厳の保持ということをが声高に叫ばれました。

一方で、医療は冷たい、介護は温かい、医療は頭脳、介護は心、というように尊厳というものへの解釈が多様になり、医療を対立構造として、介護のアイデンティティを築こうとする動きもあったように思います。

行き過ぎた尊厳への介護は、ややもすると、介護の専門性をも否定する程のうねりになっていた部分もあったように思います。

<介護3K時代と介護マネジメントの隆盛>

業界最大手の介護企業が不正受給や人員の水増しをしていたことを理由にお取り潰しになった事件が起こりました。介護業界を震撼させた大事件でした。

これを機に、介護現場の実態がクローズアップされるようになり、人員不足、劣悪待遇というイメージが広がることになりました。

加えて、国は介護報酬のマイナス改定を始め、事業所数の量産化から質の時代にシフトチェンジをし始めました。これが結果的に現場への報酬減となり、低賃金のスタートになりました。

そんなところへ現れ始めたのが、介護事業をしっかりとマネジメントする実業家気質の介護関係者です。

もともと護送船団方式の社会福祉法人に加えて、想いで事業運営していた現場肌経営者、大手介護企業が立ち並ぶ中に、殴り込みをかけたと言えるでしょう。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2017年7月10日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。 ※ 金山峰之さんのプロフィール 介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員。法政大学大学院政策創造研究科修士課程修了。 在宅介護を中心に15年以上現場に従事。現在フリーの介護福祉士として、高齢、障害者介護現場の傍ら、介護人材の育成、講演、研究、コンサルティング等に従事