なぜ介護福祉を続けるのか?その1はこちらです。

「なぜ私は介護福祉を続けるのか?」

多くの尊敬する実践者の方々にお会いしてきた。本当の実践者。

彼らは大きく4つに大別できる。

①自分もしくは近い人がマイノリティであるか、差別もしくは、不当な扱いを受けたり、人権を侵害された経験がある。それを原動力として実践を続けている人。つまり、当事者自身の闘争。

②福祉の源流は元をたどると宗教活動に行きつくことが多く、博愛、隣人愛、修行、として教理経典を実践している人。つまり、愛と道の実践。

①②の実践者は、その実践の原動力がとても深く強い。信念があり、ブレが少なく一貫している。心からの尊敬を持つ。しかし、今のところ私は①②ではない。だから、彼らよりも私の実践はエンジンの持久力がひくい。

③私はこれだと思うが、自らのアイデンティティの構築や自己実現の達成のために、この介護福祉という領域でのやりがいをみつけた人。特に、マイノリティとして差別を受けたり、義憤にかられる経験もなく、また愛と道を説かれ、自身の生き方のシンボルとしてそれを宿したわけでもない人。

現代の産業化された介護福祉ではここの人が良し悪しは別として、多いのではないかと思う。

教育されて介護福祉を実践し、専門職になることを道づけられた我々。つまり、自己正義・自己実現の実践。

③であろう私は厄介者である。一見、社会的弱者の代弁者として存在し、愛と道を現代にあらわした人権思想と社会正義に立脚して実践しているのだが、真実のところでは少し目的が違う。

おそらく無意識で。なぜなら自分の正義の実践の為には“弱者の存在”が必要不可欠なのだ。

ヒーロー物語には、助けるべき弱者と悪の化身が必要なのである。弱者が居るからこそ私の存在が引き立つ。

もちろん、③でもなんら問題はないと思うし、専門職として良い介護実践をしている人は多いだろうし、そうしたたくさんの人々によって今の日本の介護福祉は支えられている。

20代ならば③でも良いのかもしれない。悲観して見過ぎるほど③は悪くはない。

しかし、今の私はこれではいけないし、真の介護福祉職ではないと思う。言うなれば③は消極的学習者。

本当の実践をするに当たって、①②であることは特急のチケットかもしれないが、③からジャンプ出来たって良いはずだし、そうした人もいらっしゃるはず。

だから「なぜ介護福祉を続けるのか?」という問いの答えは①②以外であるならば④であることが・・・ん~、正しいのだと思う。

④「おかしい!」という「怒り」を現場と社会に感じる人である。そして、その怒りは必ず当事者の生活や人生の中になければならない。一見自己正義のそれと似ているようにも見えるが、両社は異なる。これはつまり、義憤と社会変革の実践。

「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想を持っている。実現の過程でその思想は常に吟味される。どうしてこのような考え方ではいけないのかという点を反省させる。福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである。」 『この子らを世の光に』(NHK出版)京極高宣著―糸賀一雄の思想と生涯

糸賀一雄はクリスチャンであったそうだから、きっかけは②だったのかもしれない。しかし、実践の中で、その思想はキリストの教理経典から、福祉の思想として深められていった。まさに、実践者である。

私は、今利用者の生活や人生や取り巻く環境に義憤を感じているだろうか。義憤を感じるほど、当事者たちの声や生活や人生に耳を傾けているだろうか。この世の中をおかしいと感じているだろうか。

「おまえはなぜ介護福祉を続けるのか?」

この問いの答えをちゃんと現場からみつけることが出来たら、自分は一端の介護福祉職になれると思う。

これからの自分はそれを目指したい。そのステージにすでに来ているのだから。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2016年10月21日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。

※ 金山峰之さんのプロフィール 介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員。法政大学大学院政策創造研究科修士課程修了。 在宅介護を中心に15年以上現場に従事。現在フリーの介護福祉士として、高齢、障害者介護現場の傍ら、介護人材の育成、講演、研究、コンサルティング等に従事