2021年7月17日に行われた「最期まで自分らしく生きる介護の実践」看多機 “むく”×駒場苑コラボ質問会の内容をダイジェスト版で紹介します!

【登壇者】 佐伯美智子(看多機"むく"代表) 坂野悠己(特別養護老人ホーム駒場苑施設長)

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前回記事:5. 看多機"むく"の看取りケア

6. 駒場苑の看取りケア【看多機"むく"&駒場苑コラボ質問会レポート】

編集部 坂野さんの駒場苑の看取りケアについても教えてください。

坂野(駒場苑) そうですね。考え方は全く同じで、特養に来たら状態関係なく看取りは始まってるっていう位置付けで、その人らしい生活を最初からしてもらえるように関わるっていうのは大事にしています。

だから私よく言うんですけど、看取りになってから急に好きな食べ物出し始めたり、急に好きな音楽かけ始めたりするんじゃなくて、もう元気な時から好きな食べ物が食べれたり、好きな音楽が聴けたりしていく。 その延長に結果としての死があるっていう。

看取りも、だんだん衰弱して食べなくなってっていう看取りもあるけど、突然ころっと亡くなっちゃうこともあるじゃないですか。 そうすると、その人は最期好きなことができなくなっちゃうんですよね。 だから、もう出会った時からその人にとって良い場所になるようなことはしていかなきゃいけないんだろうなと思ってます。

あとすごく思い出に残ってるのは、駒場苑が私が来る前、全然改革とかしてない頃に住んでたおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんは認知症でとにかく暴言、暴力、唾吐きみたいなかんじで。 従来型の特養なので4人部屋なんですよね。 だから隣の部屋に4人いるから、隣のかたに暴言はいちゃったりとか、職員さんに暴力行為があったりとか、唾吐いっちゃったり。 当時の駒場苑の対応は、「うちでは看れません、精神病院行ってください」っていう形でした。

そこから月日が流れて、私どもが来て、駒場苑の改革とかが始まって、「7つのゼロ」とかをやり始めた頃に、その相談員さんはずっと後悔してて。 「特養なのに最期まで看れない」って。 そういう中で駒場苑の改革が始まって、ずーっと残ってた思いが「今の駒場苑ならあのおばあちゃん住めるんじゃないか」と。 そして、家族に連絡して、駒場苑に戻って来ませんかって話をしたんですよね。 しかも正直家族からしたら、「は?」って。お前あの時追い出しといて、何で今更戻って来いって。 その当時、そのかたは精神病院で拘束されたり、精神薬をいっぱい飲まされちゃったり、結果的に胃瘻にもなっちゃってたんですね。 そういう状態にまでなってて、家族からしたら駒場苑に対する不信感はめちゃめちゃあったと思うんですよね。 ただ、その状態を良いとは思ってなかったから、駒場苑のことは多分信用してなかったと思うけど、今の状態よりはと思って戻って来たんですね。

そのおばあちゃんは駒場苑に戻って来たあとに、もちろんおむつで寝たきりで胃瘻だったんだけど、おむつが外れてトイレに行けるようになったりとか、あとは唾吐いたり、噛みつこうとされたりとかするんですけど、そういうことができるってことはちょっと口から食べれるんじゃないかなって、その当時の職員さんは思って、口からのアプローチとかもしてくれて、結果的にね、食事も口から食べれるようになった。

口から食べれて、トイレで排泄ができて、ヒノキのお風呂に入ってみたいな、うちでは当たり前な普通の生活をしていただいただけなんですけど、すごくそれで元気になって。 もちろんそれで暴力がなくなるとか、唾吐きがなくなるかっていうことではなかったんだけど、多分ご家族の中ではすごいマイナスなイメージから、駒場苑やるやんけみたいなかんじになったんですよね。

めちゃめちゃすごくバイタリティのあるご家族で、もともと目黒区の家族会の代表みたいなのしてたんですけど、駒場苑の応援団みたいなのを作ろうみたいなの言い出して。 駒場苑その当時家族会がなかったんですけど家族会を作ってくれたり。 施設の家族会って、悪いふうにいくとクレーム団体みたいになりがちなんですけど、そういうふうにはしたくないと。 あくまで駒場苑の7つのゼロっていう取り組みを応援する家族の会でありたいんだって言ってくれて、家族とのコミュニティみたいなものを作ってくれたりしたんですよね。

そういったことをしてる中で、そのおばあちゃんが結果的にうちで看取り、亡くなられたんですよね。 お葬儀に近いようなことをしようってなって、ご家族が最後、挨拶をしてくれたんですけど、その時に「本当駒場苑に帰って来れて良かった、最期駒場苑で生活ができて良かった」って言ってもらえて、その相談員さんもめちゃめちゃ泣いて。 ただ、ここで言いたいのは、うちとしては本当、当たり前のことしてるだけなんですよね。 食べること、出すこと、お風呂に入ること。 少なくとも、ちゃんと気持ちよくしてあげたいなっていうことができたことはすごく良かったと思っています。

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