2009年9月27日の記事『熱心にかかわり続ける』の中で、“相手にレッテルを貼らない”ことが大事だと書きました。

重要性については言及しましたが、少し理想論というか綺麗事な内容になってしまったので、じゃあ実際にレッテルを貼らないようにするにはどうしたらいいのか?というポイントについてお話します。

まず、人にレッテルを貼るとはどういうことでしょうか?

辞書に(載ってるもんですねf^-^;)よるとレッテルを貼るとは『人や物事の多様性を無視して、単純な類型(パターン)の枠組みで捉えて、その類型の名前で呼ぶこと』だそうです。

例えば、声かけや御誘いにもほとんど反応せず、黙り込んでいる男性利用者さんを見ると

「あぁ、この人は寡黙な人だ」 「無愛想な人だ」 「人づきあいが悪い」

という印象が自分の中に残り、その印象をもしかしたらその日は体調が悪いだけだったかもしれない、お腹が痛くてウンチを我慢していたかもしれない、ただ耳がとても悪いのかもしれない等の可能性を無視して、この人は「無愛想」という単純な型にはめてしまうことです。

なぜ人は自分の見る一面的な印象だけで人にレッテルを貼るのか?

それは心理学的に説明がつくのですが、詳しくは割愛します。

簡単に言及だけすると、一種の自己の防衛機制なんですが、社会的にその人とかかわる上で、自分の理解できないような、自分の常識(こうあるべき)というものから外れる人の言動について、自分が納得する理由を自分の中で作る、そういう自分のフィルターを作っておいたほうがやりやすいという心理が働くんですね。

なので、ある意味人が人の一面的な印象に対してレッテルを貼るということは当たり前というか、自然なことと言えます。

しかし、人として当たり前な心理かもしれませんが、私たち介護職がそれを持ち込んでしまってはプロの仕事はできません。

人にレッテルを貼らないようにするにはどうしたらよいでしょうか?

レッテル貼りが“人や物事の多様性を無視して”というのであれば、多様性を無視する=一面的に見る、ことをしなければよいのです。

つまり、その人を多様な側面から見てみるということです。

利用者さんが無反応で黙り込んでいる・・・・事実だけど一面的

実はお腹が痛い、ウンチを我慢している等・・・・想像だけど色々な面からみている

さて、どうすれば多様な側面から人を見ることができるのでしょうか?

ポイント1

その人を見る立場を変えてみる。

介護職という立場からだけではなく、家族が今の状態を見たら?他のスタッフが見たら?医師が見たら?男でなく女性が見たら?他の利用者さんから見たら?ご本人の立場から見たら?

このように、その人を見る立場(視点)を変えて見てみることです。

家族・・・こういう時は眠いんです 他のスタッフ・・・お風呂上がりだから疲れているかも 医師・・・いたって状態は安定している 女性・・・こんな女性ばかりの場所じゃ嫌よね 他の利用者さん・・・男性は昔からだんまりするのが普通 ご本人・・・お腹が痛い、、、

立場が変わると色々と違う意見が出てきます。この多様な視点を自分一人で見れるようにすることが大事です。また、別のスタッフと意見交換をして、今の男性の状態はどんな状態だったのか?と話し合うことで真意に近づくことができます。

ポイント2

焦点を変える

相手を見る焦点を変えるのです。

レッテルを貼るとは相手の言動が自分のこうあるべきという範疇を超えた時にそれを納得するために貼るものです。

なので、そのこうあるべきという一面的な言動だけでなく、他の面を見てみるということです。

朝、家族に見送られているときの様子は?・・・家族の前では笑顔が見えた 他の利用者に対しては?・・・さりげない優しさや気づかいをしてくださっていた 以前の様子で印象的なのは?・・・カラオケのマイクを渡したら熱唱して、拍手をもらい満面の笑みだった

『声かけにだんまり』というところだけではなく、他の面からその人を見ると違った側面が見えます。

または、パーソナルデータ等の情報からその人の違った面を見ることからも違った横顔が見えるものです。

このようにその人を見る立場を変えたり、見る焦点を変えるとその人を一面的に捉えず、多面的に見ることができ、安易なレッテルを貼らずに広い視野でその人を知ろうとすることができます

このように関わり続けること=レッテルを貼らない=『熱心に関わり続ける』ことなのです。

自分の中にあるレッテル貼りの心理を自覚しつつ、それでもなお、プロの介護職として支援していきましょう。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2009年10月7日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において掲載した内容を、一部編集のうえ掲載しています。