介護をはじめて3年ほど経っていた頃、利用者を“観察”するという言葉にとても違和感を感じました。 利用者という一人の人格を有する尊い人を、まるでアサガオの観察でもするかの如く“観察”する、という文脈に人を人として扱わないような冷徹さ、もやもやを感じていたのです。 そのため「その人に寄り添う」とか「その人の想いを察する」とか自分なりに表現していました。 また「感察」「関察」などの当て字で私のもやもやを表現する人や書籍に共感を抱いていました。

あれから10年弱、当時の私と同じように感じる介護職は多くいると想像しています。

例えば「徘徊と表現するのはやめよう!」「暴言ではない!それはその人の心の叫び」「帰宅願望ではない、誰もが帰りたいものだ」など。

気持ちはとてもわかります。大勢の志ある介護職が増えてきているからこそ、利用者の人格や尊厳を尊重する想いが強く、このようにおっしゃるのでしょう。

しかし、「徘徊」「暴言」「帰宅願望」(以下まとめて代表として「暴言」と書きます)などの言葉を、ある条件を経て、私は今後積極的に使う必要があると思うようになりました。

つまり私はこう思います。

「暴言」という言葉を私たち介護職は一般の人が使う“一般用語”と区別し“専門用語”として定義づけしなくてはならないのです。 そして、その専門用語を見たり使うときは、背景や関連する考えや行動を結びつけて使いこなさなくてはならないのです。 加えて、一般の方に伝えるときは専門用語を一般的な表現に修正して伝えることが求められます。

例えば「暴言」を私たち介護職が『各種疾患、薬剤、心理的ストレス、身体状況、他者の関わりその他の原因により、周囲の人に対して大きな声で威嚇、拒否、命令などの主張をすること』と定義づけたとしましょう。

新規利用者の情報シートに「暴言」とあった場合「暴言があるAさん」という情報(information)は『各種疾患、服薬状況、心理状況、身体状況、人間関係の把握、これら情報の関連付けと、これにより生じている生活課題をアセスメントする必要がある』という専門職としての次の行動を促す情報(intelligence)になるのです。 つまり私たちは「暴言」と見聞きしたら、辞書にあるような一般用語としての理解ではなく、定義づけられた専門用語として使用、共有、理解し、行動までを結びつける必要があるということです。

専門用語を使う、ということはそういうことではないでしょうか。

簡単に言ってしまうと、私たちは介護の専門職であるにもかかわらず、一般的に使われている言葉をそのまま一般用語として現場で使用しているのです。 だからこそ、大勢の志ある介護職は言葉の使われ方と、倫理観にズレ・違和感を感じ、冒頭のように「暴言と表現してはいけない」と訴えるのではないでしょうか。 「暴言じゃないよ、これは関わりが悪いんだよ、この方はとても穏やかな方だよ!」と感じてしまいます。一種のアレルギー反応です。

ちなみに、一般用語とは少し違う言葉に対しては大勢の志ある介護職はアレルギー反応をあまり示しません。

例えば「弄便」などはその際たる例です。便を弄ぶ、いじる、という行為自体が一般的ではないため、そうした特異な状況を表現する言葉としてすでに“専門的”です。 「便をいじるなんて言ってはいけない」というアレルギー反応はあまり聞いたことがありません。

他にも、すでに医学や心理学などの他領域で定義づけられているような専門用語に関しては私たちはアレルギー反応を示しません。例えば「失語」など。これも一般生活からかけ離れていることであり、定義づけられていることが要因でしょう。

たしかに、これまで利用者から発せられる様々な言動について一般用語としての「暴言」などと表現し、ある意味蔑んできた歴史がありました。ですから、こうしたオールドカルチャーに違和感と異を唱えることは正しいことです。 しかし、私たちは次の時代の対人援助専門職になるために、一般用語と区別した専門用語としてこれを使いこなしていかなければならないのではないでしょうか。

だって、『暴言』という言葉は2文字で済むし、それが多くの専門職の共通理解と行動を促せる言葉であるならば便利でそちらを使ったほうが効率が良いはずです。

冒頭の『観察』も、看護の領域では“冷たい”ものではなく、見た目も動きも心の表現も“観る”ということが含まれていること、看護の観察項目が共有されていることを知ったとき、専門用語と一般用語の違いを意識しました。

先程も書きましたが、もうひとつ大事なのは、一般の方に伝えるときは「暴言」を一般的で、ご本人の尊厳や人格を傷つけない言葉で表現できることも専門職として重要です。 「大きな声で意思表現などをされる」などでしょうか・・・

ちなみに「暴言ではない表現を考えよう」という新しい表現を模索する動きもありますが、定義付けが先です。定義はそのままで、本当にその用語が不適切だという機運が高まった時にはじめて言葉は変えられるのだと思います。 痴呆症から認知症へ、介助から生活支援技術へ。。。

ということで、介護の専門用語の定義づけから始めなくてはいけませんね。特に、介護は一般用語と共用する専門用語が多いと思いますので。生活とか、食事とか、介助とか、etc. 誰がやるのか?どこがやるのか?

介護福祉士会で始めてみたいと思います。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2016年8月4日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。