Bricolage(ブリコラージュ)2016夏号 に掲載された「髙口光子さんに聞く 介護現場の 〝今〟とこれから」を、全5回の記事で紹介します。

前回:#4 介護職のストレス

2005年、石川県でグループホーム職員による虐待致死事件が起きました。『あれは自分ではなかったか』(ブリコラージュ刊・2005年)は、その事件を受けて緊急開催したセミナーを収録したものです。あれから10年、介護現場は変わったでしょうか。『あれは自分ではなかったか』セミナーで講師を務めた高口光子さんにうかがいました。

髙口光子(たかぐち・みつこ) 老健星のしずく 看・介護長。1982年PTとして老人病院、1995年寮母職として特養ホーム勤務を経て、2007年医療法人財団「百葉の会」にヘッドハンティング。老健「ききょうの郷」のケア改革老健「鶴舞乃城」「星のしずく」の立ち上げに関わる。

—介護現場がこの10年で学んだこと、さらにこれからに向けてのお気持ちを聞かせてください。

 以前は、深い認知症の人の困った行動が続くと、職員から「もうこの人をみるのは無理です」という声が挙がりました。 それに対して、私は「私たちが受けないでどうするんだ!」と介護の軸をぶれないで示すことで介護することの意味を提示してきたつもりです。 だから、「たいへんだったけど、あのとき排除しなくてよかったね」と、その人が亡くなったときにみんなで振り返ることができました。

 今は、重度の人だからこそ、深い認知症の人だからこそ、介護が関わるのは、当たり前になりました。 お年寄りを選ぶことなく、その人がここにいるから介護をしている。 そこには、気負いも決心も悲壮感もありません。 とりあえず、ここまでは来ました。 そして、現場は自分の悪性の感情も含めて本当の気持ちを語る意義を理解したし、介護力もつけてきました。 「そんな気持ちはだれでもあるよ、よく話してくれたね。これから一緒にがんばっていこう……」10年前であれば、感動の場面です。 でも、いま私はそれではだめだと思っています。

 なぜ、その人の尿・便意を感じながらトイレ誘導をするのか。 どうして、一人ひとりに合った個浴に取り組むのか。 できるだけ最後まで口から食べてもらいたいのは誰なのか。 身体拘束が介護の全否定となる理由は何なのか。 私たちがこの人の最期を見届けてよいのか。 このような課題を具体的な方法をもって提案・検討し、話し合いをもつことは大切ですし、そして、これらが誰のための、何のための仕事(介護)なのかを現場で働く介護職が、自分の言葉で誰に対してもどんな場でも言えなければなりません。 なぜなら、自分なりの価値観で介護を位置づけることをせず、ただ「上司に言われたから」「施設の方針だから」では、スタッフの数が減るたびに、施設長が入れ替わるたびに、法律が変わるたびに、サービスが翻弄され、結果として、ケアの質が低下してしまうからです。

 介護職が、介護の意味を言い切れていないことの何が問題なのかを整理し、説明できる人が必要です。これが現場リーダーです。 現場リーダーがいなければ、介護は崩れていくばかりでしょう。 介護の現場リーダーが育つ仕組みを見出すことが、私の課題です。

2021年度 高口光子の介護セミナー 開催が決定しました!

お申し込みは七七舎ホームページから!

元気が出る介護
現場の情報交流誌

2016夏号【243号】

今回の記事はブリコラージュ2016夏号より抜粋しております。

2021新春号【270号】

※Bricolage定期購読のお申し込みはこちら