私は福祉系の大学を卒業し、介護業界に飛び込みました。 強い動機ではありませんがきっかけは祖母の死だったと思います。認知症を持っていたため、医療が必要なのに、ボケていて適切なケアができないという状態でした。どこからも断られ、たらい回しの末亡くなりました。
そして、良いケアをしたい!人の役に立ちたい!苦しんだり困ってる人を助けたい! そんなことを感じ、ありがちな動機で福祉系大学に進みました。祖母がきっかけなので介護業界を選びました。
業界に飛び込んですぐに何度もリアリティショックを体験しました。 いわゆる「理想と現実のギャップ」です。
学校で学んだことなんてほとんど通じない利用者さんの生の“痛み”の前に私の「人の役に立ちたい想い」は崩れていきました。
「こんな身体になったらおしまいよ」 「もう家族の荷物だからねぇ」 「最愛の人に逝かれてもう生きていく気力がない」 「足さえ良ければね…」 「早くお迎えがこないかな」 「もう死にたい」
いかに医療やリハビリが進歩したとはいえ、老い、病い、障害、死は避けられないものです。
まして介護は“治す”専門家ではなく、自分たちの専門職としてのアイデンティティは何なのか自問自答しました。
何もできない自分 無力な自分 仕方ないと諦める自分 安易な励まししかできない自分 現実を見たくなくなる自分
教科書通りの綺麗事ではない、痛みを抱える相手から逃げないで、自分たちにできる支援はないのか?
そんな時に出会ったのが『スピリチュアルケア』です。
世間で話題の占いとかオカルト、ヒーリング等の意味ではなく、 WHOが定義した、人が健康に存在するためのフィジカル(身体)、メンタル(心理)、ソーシャル(社会)と並んで四つ目の要素としてあるスピリチュアル(魂)です。
スピリチュアルケアはもともと末期癌患者のホスピスから生まれたケアです。
私は上記のような利用者の悲痛な言葉を前にして自分が、一介護職として、また一人の人間として本当の意味で支援するためにスピリチュアルケアは必要な方法だと考えています。
私たち介護職は一般的に看取り介護など以外では医療者、ホスピススタッフに比べると、今まさに死を目の前にしている人を相手にすることは少ないかもしれません。死を目の前にした人や家族の悲痛な痛みは直接的に目に見え、感じるものです。
しかし、死の宣告に負けず劣らず、老い、病気、障害、その他、関係性の喪失、役割の喪失、将来や自律性の喪失に伴う自尊心の低下、そしてそんな状態で余生を生きなければならない要介護者に日々向き合う私たち介護職こそスピリチュアルケアをすることが必要ではないでしょうか?
末期癌患者などに比べ、生活不活発病、慢性疾患、在宅生活、その他の喪失体験をして生きる要介護者の痛みは目に見えづらく、私たちやご家族、本人でさえも「仕方ない」と諦めることが多いのではないでしょうか?
中にはいつもの愚痴と捉えられることも少なくないはずです。
しかし、身体の不自由に対する支援はもちろんですが、要介護者が抱える生きにくさ、本当はこうありたいと願うのにそう生きられない魂の痛み(スピリチュアルペイン)こそ私たちはケアしなければいけないはずです。
スピリチュアルケアはカウンセリングやメンタルケアとも違います。微妙に重複する部分もありますが、今後は区別されてしっかりとしたアセスメントと支援が必要になってきています。
まだまだ未熟ですが、自分のスピリチュアルケア的な実践事例としては『痛みに隠された真の痛み』をご覧ください。
まだまだ“ケア”と言う段階に至ってはいませんが、こういうやり取りの中から相手の魂の痛みにスポットを当てたケアが必要になってきます。その方法論などは今後勉強して発信いたします。
スピリチュアルケアは『個別介護』の大切な一つの要素であり、私たちの事業所が“良い介護”をしている、と言われる背景にはこの見えないところでのスピリチュアルケアが行われているからだと考えており、この見えない部分をどうにか言葉にしたいと日々奮闘しているところです。
私はスピリチュアルケアが介護の中で当たり前に提供されるようになる日を夢見ています。 私自身も学び、実践し、そして経験していくために頑張ります。
当ブログでも介護のスピリチュアルケアについて発信していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
逃げずに、諦めずに、生きにくさを抱える利用者さんの人生を少しでも支えられる介護職になりましょう!
※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2009年9月30日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。