「人の世話になるくらいなら死んだほうがまし」

と度々口にしていたYさんは小柄で細身のおばあちゃんです。顔はとても可愛らしい感じなのですが、話す内容はハッキリ、時にはズバッと言うタイプなのでギャップがあります。パッと見みた感じからは想像できない厳しさがあるので、職員も介助の時は緊張します。

車椅子を自走して生活していますが、左麻痺があるため唯一お風呂だけ、職員の手を借りなければなりません。決まった手順と流れがあり、新人は必ず3回見学するのが暗黙のルールでした。体に触れられることを嫌うので、洗い残しがある時につい手を出そうものなら「触らないで」と平気で言います。

Yさんは、浴槽に入らずにシャワーで済ませるのが習慣です。(今思うと介助されずにお風呂を済ますというYさんのプライドなのか、単にお風呂嫌いなのかわかりません。) 「Yさんがこの先具合が悪くなり、介助が必要になった時はどうなるんだろう」というのは、度々頭をよぎることがありましたが、まさか突然その日が来るとは思ってもいませんでした。

両足に浮腫

5月に入って間もないある日、Yさんのお風呂のケース記録に両足に浮腫が出ていると書かれることがありました。その時はあまり気にしてなかったのですが、実際に足を見た時、思った以上だったのでなんだか嫌な予感がしたのを覚えています。

お風呂の時、いつものように立ち上がることができなかったYさんは自分から「体を持ち上げてほしい」と言いました。珍しいことです。右側への傾きも強く、座っているだけでも精一杯の様子。その日は全介助でなんとかシャワーを浴びることができました。

Yさんのトイレですが、今まではベッドサイドのポータブルトイレを使用されていて私たちが介入することがなかったのですが、立ち上がれなくなった日からはコールがあり、介助が必要になりました。Yさんはトイレに座る回数が多いです。特に便秘になるのは嫌な性分なので普段から意識してペットボトルのお茶をものすごく飲まれる方でした。夜間、1時間に1回トイレのコールが鳴るようになりました。時にはトイレが終わって15秒くらいで、またコールが鳴ります。夜勤の時はYさんのコール次第でどんな夜になるか決まる感じがありました。今まで自立だったYさんでしたが、職員を呼ばないとトイレに座ることが出来なくなってしまったのです。

食事に関しては車椅子に座れば自分で食べることができるので、車椅子に乗ってしまえば自立で変わりないです。

足の浮腫はなかなか改善する気配がなく、困りました。もともと、Yさんはベッドに足を乗せずに端座位のまま枕の方へ上半身を倒して寝るスタイルなので、少しでも軽減するためにはベッドに両足を上げて欲しいです。けれど「何十年もこうやって寝てるから」「習慣だから」と簡単には聞き入れてくれません。

足を下ろしたままというのは、自分で上げることが難しいというのもあると思います。それと下ろしてあればベッドの柵を掴んで自分で端座位になることができるため、人の手を借りずにトイレや車椅子へ移乗できるので、もしかしたらそういう理由からそのスタイルを貫いていたのかもしれません。

浮腫みにより体調を崩してからは、自分で体を起こすということが難しくなってしまいましたが、L字柵を掴んで座位は多少取れたので座ってしまえば後ろから大腿部を支えながらお尻を持ち上げると、ある程度立位は少しキープすることができました。その介助でポータブルトイレに座れます。

利尿剤を内服するようになり、足の浮腫が少し改善すると、時々自分で立つことができたようで、職員の手を借りずに1人で車椅子からポータブルトイレに移乗していることがありました。「だんだんこうやって元の日常に戻るのかな」と嬉しく思いましたが、方向転換が思うようにできずに転倒したり、フットレストから足を下ろさずに立とうとして車椅子から床まで滑り落ちたり。筋力も低下したので気持ちはあっても体がついていってない感じです。

でも、立った時に踏ん張れないと安全に立つことはできないので、床に滑り止めのマットを貼りつけてみました。クッション性もあったので、普段から痛みのある左足にも優しいのと、滑らないのは、ポータブルに立ち上がる時は役に立っていたと思います。

「なるべく怪我をしてほしくないので、遠慮なく職員を呼んでほしい」というのも伝えました。

自ら大きなパットを指定して使うように・・・

5月もちょうど半ばが過ぎたある日。そんな日々を過ごしていたYさんは体力的に限界を感じたのか、自ら大きなパットを指定して使うようになりました。「私もうダメみたい」とか「もう足がダメになった」と弱気な発言もするようになりました。あんなに何回もトイレで立ち上がっていたYさんでしたが、大きなパットになった日からピタリとコールを押さなくなったのです。

パットに尿を出すという風に自分で切り替えでもしたかのように。それと同時に食欲が減り、まるで食べることをやめたかのように「要らないです」と起き上がることもなくなり、寝たきりとなっていきました。唯一、お水だけはすごく飲んでくれました。あれだけお茶が好きだったのに何故かお水に拘り、今度はお水を飲むためのコールが度々鳴るようになったのです。自分で好きなタイミングで飲める方が良いので、脇にストローマグを挟むスタイルになり、マグの中の水が底がついたら新しく入れる、というパターンに水のコールへの対応は定着してきました。

食べることをやめてから足をベッドの上に上げることも受け入れてくれるようになりました。「80過ぎまで生きたんだから上等」「十分生きた」なんて言うようにもなってきました。

食べなくなってちょうど1週間が経ち、さすがに声の張りもなくなって、寝ている顔を見てハッとする時も増えました。何か食べたいものを聞いても「食べたら吐きそう」と言うのでその先に進めません。

「一回死んでまた生きた」

そんなある日、谷川岳に昔登ったことがあるとYさんが珍しく山の話をしてくれました。私も山登りをするので、会話がいつもより少し広がりました。登山者が遭難した時にチョコレートで生き延びる話になった時に、何故だかわかりませんが「梅干し食べたい」とYさんが急に言い出したので、なんだか嬉しくなりました。

何か変わっていきそうな予感がありました。

梅干し!

その日はすでに夕方近かったので、夕飯の時間は、梅干しのために離床をして、皆と一緒にご飯を食べました。久しぶりにYさんを見て、皆驚いていました。食べなくなって8日目のことです。

「一回死んでまた生きた」

次の日にそう言っていたそうです。食べると決めたからか、ベッド上での食事介助も受け入れるようになりました。梅干しパワーは凄かったです!

よく断食をすると体の毒素が抜けてキレイになるという話がありますが、まさにそんな感じで、それから食べられる回数が少し増えて、食べたいものも言ってくれるようになったので、納豆やたらこも買いました。

何とかお風呂に

食べる日が増えて喜んだのも束の間・・・10日間くらい経った頃に今度はまたピタリと食べなくなってしまい、またお水だけに戻ってしまいました。

そういえば「もう足がダメになった」と言った日からお風呂を拒むようになり、汗ばんだ体からは少し臭いがするようになっていたのです。「お風呂に入ってスッキリしたら、またきっと食欲が湧いて食べられるようになるんじゃないか」と思い始めたら、もうそれしかないと思い、どうしても入って欲しくて、断るYさんにお願いしました。

Yさんもそんなに言うならと思ったのか「じゃ、入ります」と言ってくれました。

入るとなると、「そこに下着がある」とか、的確に着る物の指示がありました。Yさんは気持ちの切り替えが早いです。

久しぶりのお風呂は何日分もの垢でザラザラとしていたので、ふやけた垢を軽く擦ると消しゴムのカスみたいにボロボロとして、一皮剥ける感覚はあったんじゃないかと思います。

入った後に「ありがとう」という言葉がありました。

そして、嬉しいことにまた食べられるようになりました。起き上がる体力はないですが、食べる意欲は出てきました。「食事介助お願いします」とYさんからも言うことだってありました。

食べない時期があったり食べるようになったりですが、ある程度食べる時期が続くとやはり排便が気になります。ベッドのままでとYさんは言いますが、付着便が続く時はスッキリしないので、一度トイレに座ることを促しました。やっぱりしっかりと排便があったりすると、こちらもスッキリして気持ち良いです。

Yさんに谷川岳の景色を

私は谷川岳に登りたいなぁと思うようになっていました。山岳部の仲間に話し、登る予定を立てました。Yさんに「写真撮ってくるね」と報告すると「じゃあ、それまでは生きてます」と写真をとても楽しみにしてくれていました。

Yさんが頂上で見た雲海の景色は難しいと思いましたが、行けば何か残せるかなと思いました。

季節はもう梅雨の時期にも入っていたので天気予報は雨が続いていましたが、奇跡的に登山日は雨からは免れました。でも晴れというわけではないので、山には白くガスがかかっていました。私は写真よりも動画で喜んでもらおうと動画を撮影してフロアのテレビで観れるようにしました。「ぜひ観てほしいのでフロアでご飯を食べませんか」と誘いました。

起きて食べてくれて、山登りの動画も観てくれましたが、「こういう景色もあるんだね」と素っ気ない感じで、残念ながら絵に描いたような感動は全く無しでした。

でも、その方がYさんらしいです。

頂上の景色は真っ白けです。(笑)

とにかく食べれるようになったので着々と元気になり、声に張りも戻ってきました。 負担にはならない程度で、1日1回昼だけと決めて、車椅子に乗ってフロアの皆と食事するというスタイルは定着していました。Yさんも、「約束だから起きます」と、多少無理していたとは思いますが、1日1回は起きて食べてくれました。

Yさんの最期

そして8月も終わりに近づいたある日、いつものようにお昼ご飯を食べ終わって居室に戻る時、なんとなくYさんが息切れしているのを感じました。 それ以外は特に変わった様子はなかったのですが、その日の夜から急に呼吸が変わったそうで、ドクターの指示で酸素3リットルのカニューレ装着になったのです。

お水を吸い込む力もなく、一定のリズムで呼吸だけをしている状態に。末端にチアノーゼが出たり、発汗があったり、バイタルも測定に時間を要すようになりました。

そして今度は酸素4リットルに。声かけしても目が少し動く程度で呼吸のみをしています。 スポンジで口の中を湿らせるくらいしかしてあげられることがありません。 勤務の終わりにYさんに「今日はもう帰りますね!また明日9時に来ます!」と言うと、目が少し動いて反応がありました。

でも、これがYさんとは最後の会話となりました。

つい一昨日まで普通に生活していたのに急に逝ってしまうなんて。でも、潔ぎよく切り替えの早いYさんらしいかもしれないです。

Yさんとのこの4ヶ月間は、色々と学ばせてもらったように感じます。 それから、本人がまだ気がついていないこともニーズにある、ということにも気付かされました。

Yさんのご冥福をお祈りします。

後日談

坂野施設長よりコメント

私が介護職で4階の夜勤をやっていた頃(もう3~4年くらい前だと思いますが)、夜勤中にいつもYさんが座ってマッサージしてくれるんです。

その時に「東京オリンピックが始まるまでは死ねないわ、東京に世界中の選手が集まった時に、選手達にマッサージをするんだから」と毎回仰ってました。

本当にオリンピックが終わると同じタイミングで亡くなったので、思い出しました。