「良い介護を選べる目があるのは、介護職だけ」

編集部 : 前回はキャリアについてお話をいただきました。(インタビュー「『悪い介護』を『悪い』と言えないと、辛くなる」はこちら

高口光子 : 今日はそれに関連して、良い介護について話します。・・老人福祉法は措置の時代でした。いわば、幸せかどうか?を行政が判断していた様な格好です。いまは介護保険法ができ、介護保険料をみんなで出し合って、一人がみんなのため、みんなが一人のため、という構造になりました。

編集部 : はい。

高口光子 : 介護保険がスタートした当時は、当然の権利として、利用する側は「良い介護を選べる」し、結果、悪い介護が減る、という、行政の触れ込みでした。ですが、結果的に「家から近い所」「金額」「すぐに入れるか」が基準となり「選べない」状況です。

編集部 : なるほど。

高口光子 : それに一般の人に選ぶ目が備わっていないことが多いと思います。最新の設備が整っている施設と、古い施設を見た時に、どちらが利用する側として良いのか?と問われると、仮に介護の面が十分ではないとしても「最新の設備が整っている施設」を選んでしまう可能性があるということです。

編集部 : 確かにそうですね・・。

高口光子 : その点、良い介護を選べるのは介護職だけだと思っています。就職をする時に、良い介護をしている施設を、介護職が選ぶプロの介護職から選ばれない施設は潰れる、ということですね。

編集部 : なるほど・・・。

高口光子 : とはいえ、介護職であっても、選べる介護職はどこまでいるのか・・・ということもありますよね。

編集部 : 確かにそうかもしれません。

「介護はお世話じゃない。人間関係を育むということ」

高口光子 : ある著名なジャーナリストの方と話す機会がありました。こちらの方は、何度も癌になって手術をされている方なのですが、その手術に際しては「全然怖くなかった」というんですね。

編集部 : はい。

高口光子 : なぜかというと 「腕の良い医師が手術してくれるので、死ぬと思わなかった」 んだそうですよね。

編集部 : なるほど〜。

高口光子 : そんな方が、自分の地元で、認知症のお母様に会ったときの時のことです。老人ホームにいったところ、「あんた誰?」と言われたらしんですね。それがとても「怖かった」というんです

編集部 : どうしてなんですか・・・?

高口光子 : 自分が、お母様と同じ様になる、という恐怖、だと。悲しいとかではないんですね。私なんかは、息子が全く顔を見せずに、たまに会いにいったら「そうなるよ、当たり前じゃん」とか思うんですが、いろいろな分野の最先端の情報を知っているはずのジャーナリストの方でも、何にも知らないんだなと思った訳です。

編集部 : 確かにそうですね。

高口光子 : その方にこんな話をしました。介護が必要になると、最初は、自分で排泄できない人にも、介護職は「出ると嬉しい」と言って、ケアをする訳ですね。それって、生きててくれて嬉しい、ってことじゃないですか。

編集部 : はい。

高口光子 :食事もその人なんかは「自分で食べられないから、食べさせられて」なんて言うんですけど、介護職は、その人に合った食事を提供しますよね。そうやって「自分のための食事」ができていくわけです。それが「1人じゃない」という実感になる んですよね。

編集部 : なるほど。

高口光子 : 意識とか、言葉を超えて、それは伝わっていきます自分ひとりでは排泄ができなかったり、食事ができなくなったとしても、生きる方法があるという実感・一人じゃないと言う実感を得られます。その実感ある体験から、生きてていい、という「生の肯定感」を得て、生きる力が引き出される訳です。

編集部 : 素晴らしい話ですね・・。

高口光子 : それを職員も嬉しいというわけです。ご飯も、お風呂もケアを通じて、一緒に体験した(=一緒に暮らした)人が、弱って亡くなるのを目の当たりにして、泣くんです。この経過をもってお年寄りは最期まで自分らしくいられる訳ですね。これって、お世話じゃないんですよね。人間関係を育むということです。一人じゃないという実感、生きる力を、お互いに引き出しているということなんですよね。

編集部 : なるほど。

高口光子 : 介護とは何か?という発信を、もっと一般の人にも知ってもらいたいですし、介護職だからこそ、それを見極めて、選べる目を持って欲しいと思っていますよ。

編集部 : とても貴重なお話、ありがとうございました!