私が介護職を始めた頃は「利用者さんのため」と言う言葉は伝家の宝刀でした。大抵の介護職は、この言葉を使えば意思疎通が図れたし、意図することがわかったし、自分たちのアイデンティティを共有することができました。
「それは利用者さんのためになるの?」 「何が一番利用者さんのためになるか考えよう!」
こうした言葉を発すると、道がずれかけても、私たちはある程度自動的に仕事の軌道修正ができていたように思います。 そして、どんな職場にも大抵利用者さんの懐に一瞬で飛び込んでハートを掴むおばちゃんや、大切な利用者さんに不利益なことがあると本気でキレるような熱い若手リーダーがいたものです。
最近そうした意味での利用者さんに対する熱さ、いわゆる“介護バカ”が業界全体で減ったように感じます。

先日うちに新規の利用者さんが登録されました。 家族からネグレクトを受けていたような方で、金銭的困窮があり、この猛暑の中、エアコンもなく、一日寝かされているような方でした。 あるスタッフはこの方が登録されてから「あれどうしよう、これどうしよう、これして差し上げなきゃ、あれを買うのを勧めてみようかな、食事はどうしたら召し上がるかな、何がお好きかな、聞いてみなきゃ、ようやく声を聞かせていただけた、今日笑ってくださった!」とスタッフに会う度に言っていました。 私と会うと、その方についての相談。質問が止まりません。 そのため、他の仕事がちょっと抜けたりするのはご愛嬌。
こうした、一人の利用者さんに向けて強い関心を継続的に向けることができる力、利用者さんを想う力、これこそが介護福祉職としてまず最も身につけるべき大切な要素なのではないかと私は考えています。 また、介護職の適性として最も抜けてはいけないものがこれだと考えています。
そもそもこの仕事が好きかどうか、続けられるかどうか、やりがいにつながるのは、これがあるかないか、だと私は考えています。
一言で言うならば『利用者さんを想う力』です。介護バカの原動力です。
そう、以前は、こうした利用者さんを想う力を持つおばちゃんや若手リーダーが少なからずどの事業所にも最低一人や二人はいたものです。 それが減った・・・

この力をどうしたら無資格未経験のスタッフ、介護とは全く縁がなかった中途採用の方、などに伝え、身につけてもらえるだろうか? そんなことをずっと考えていました。
そもそも、なぜこうした想いを持った人が減ったのか疑問でした。 「利用者さんのために」はもしかしたら業界では古い考えになり始めてはいないだろうか?そんなことすら考えます。
「利用者さんのために、と言うのはわかるけど、自分も大事」 「自分の生活が成り立たなきゃ、そもそもいい介護なんてできるはずない」 「介護の仕事の素晴らしさを発信」と言って利用者さんではなく介護職に当たっているスポットライト???

「利用者さんのためだから当然でしょ!だって介護福祉職やっているんでしょ!?」 もはやこの言葉では通じない時代、社会になってきている気がしてなりません。

ある尊敬する業界レジェンドが私と同じことを感じられてこんなことをおっしゃったそうです。


「明らかな差別と偏見にさらされている人が減った」と。

私は上述の時代の変化について、この言葉がとても腑に落ちました。

私は介護保険制度開始直後にこの業界に入りました。 先輩や周囲の人は、措置時代を経験している人も多く、措置時代から継続して利用されている方の現場へ入ったことも多かったです。 その当時と今を比べると、肌感覚ですが、世間や社会における福祉、介護へのイメージが明らかに変わったと言うことです。
昔は、福祉はなんだかんだ、貧しくて身寄りがいない可哀想な人が仕方なく利用するもの、と言うイメージが少なくなく、ヘルパーやデイサービスの利用自体に偏見や差別がある人がまだまだいました。ヘルパーって言わないで、送迎車は家の前に停めないで、などは序の口。親類に介護サービスを使っていることを知られたくない、戸籍に傷がつく、などなど。
それに、糞尿だらけのゴミ屋敷、数年入浴していない人なども割といたものです。最近は、そう言うケースは天然記念物というくらい減りました。
ゴミ屋敷や糞尿まみれ、と言うのは今でもいらっしゃると思う方も多いと思いますが、それは、老化や要介護などの状態になったことによって起きている生活支障の結果と言うケースだと思います。 私が以前見たのは、本当に貧困や近隣トラブルなどで縁者もなく、孤立と貧困、不衛生などを長い期間生きてきたような方々です。

その2に続きます。

※本稿は、金山峰之さんからの寄稿記事です。2010年1月25日に、ご自身のブログ「介護の専門性新提案」において、掲載した内容を一部編集の上、掲載しています。